2010.11.01 投稿者:JTC-出口 さゆり

15-今、気がつけてよかった。

こんばんは、安藤です。
今日から11月、すっかり秋ですね。
私はこの夏、食欲がなくなるという、ちょっとした夏バテを経験しました。
しかしながらお蔭様で最近は食欲旺盛です!
そろそろ顔周りがふっくらしてくる予感…。
それでもおいしい物はおいしいですし、誰かと食事をすることは何より楽しいです。
そんな事を日々感じ、人の温かさを体感している安藤です。
そんな中、先日小学校三年生の時の担任の先生とお食事をする約束をしました。
今日はその時思ったことをお伝えします。
私は、自分で言うのもなんですが、小学校の頃(大人になってからも)一般的に言われる、『良い子ちゃん』でした。
大人に認められる、手のかからない良い子ちゃん。
学校の規則に背いたり、先生や親に反発したりしない、とても良い子でした。
(大人たちにとっては…)
小学校三年生の時も今回お食事の約束をしたA先生(女性)の事が大好きで、いつも先生から頼まれるお手伝いを進んでしていました。
絶対に断らなかったです。
その先生のみならず、どの先生でもお手伝いを進んでしていました。
それは家でもそうでした。四人兄弟ということもあり、
トイレ掃除・お風呂掃除はこどもたちの仕事で、やらないとお小遣減でした。
お料理を進んで作れば両親はとても喜び、褒めてくれました。
その一方で、お手伝いを断ったり拒否したりすると両親は機嫌がわるくなり、
しまいには叱られる始末。
その時は、褒めて貰えるのが嬉しくて、
でも拒否をするのは怖くて…拒否をしたとしても叱られて最後は嫌な感情に浸り、押し入れに閉じこもり
翌朝を暗い闇の中で迎える。
その繰り返しだったように思います。
お蔭様で大人になってから、家事をするスキルは既に身についており不自由はありません。
その経験が活かされています。
両親に感謝です。
ただ、私がこれから取り組みたいのは、
いくら良い子でも、もっと自由に自分の意志を表現したかったはず。
『イヤ』『もっと遊びたい』『そのまま自由に居る私も受け止めて』って
思ってたんじゃないかな。
このように今の私は、その当時の私が何を感じてたのかをよく見つめるようにしてます。
そして、泣きたいときには泣いています。

今まで、当時の気持ちを心の奥底に閉じ込めて見ないようにしたり、
それが解決したように感じていました。
しかしながら、日々心理学を活かして気をつけて生活していたとしても
ふとその当時と同じようなやり方・感じ方をしている自分に気づく時があります。
もう私は立派な大人。
小さな私が大人の私を頼り、信頼し、気持ちを打ち明けてくれるのを
大人の私は両手を広げて受け止めたい。
そう思っています。
そのA先生は、当時よりは意志をはっきり述べる私と接している時、
対等な大人として接して下さいます。
私が私のありのままの状態をもっともっと取り戻していって変化したとしても
A先生は、変わらず接してくれるだろうな。
そんな安心感があります。
当時もきっと『良い子だから』と可愛がってくれていたわけじゃなく、みんなの中の一人の生徒として平等に私と接してくれていたんだろうなって思うと何だか嬉しくなりました。
先生の話しを聴いているとそれがわかります。
私は、その当時『良い子』にならざるをえない環境だったんだろうなと思います。
褒められることをしてないと『私』としてその場に(家に)居られなかったんだろうな…。
平気な顔をして。
このことは心理学を学んでからずっと気になっていたはずだけれども、問題点として取り上げなかったんです。
何故かはわからないけれども、今やっと向き合える時がきました。
皆さんもちょっと置いておきたい問題点や
蓋をしていた気持ちに気がついたら、
安心した空間を見つけて、
いっぱい感じて共有しましょう。
気がついたその時がその人にとってベストタイミング。
私の大好きな言葉です。
遅いとか早いとか関係ないです。
私は『今』気が付けてよかった。
そして、A先生とはインドカレーを食べに行ってきます♪