2011.07.09 投稿者:JTC-出口 さゆり

29-お転婆な私からも学びはたくさん。

こんばんは、出口です。
夏らしい暑さがやってきましたね。
何もしなくても汗がブヮっと出て少しでも体を冷やそうと体も毎日頑張ってくれています。
ホント、人間の体ってよくできていて、ありがたいです。
今日は私のオテンバぶりから学んだ事を書かせて頂きます。
先日、自転車のハンドルに傘をかけて爽快に走っている時
その傘が自転車に絡まり、そのまま自転車と一緒に私も横になぎ倒し…
世界がゆっくり右90度に傾き、気がつけば足元には普段お世話になっている自転車が重く私にのしかかっていました。
唖然…
痛い…
痛い…
イタァイ!!(ToT)
痛いんです、とっても!
泣きそうになりました。しばらく声が出なく、何が起きたか理解してからでしょうか
『イタァイ!』って叫びました。
隣に走っていた主人も唖然…
目が点
そして一言
『さゆりがこけたの二回目に見た~!』
でした(-.-;)
えぇ、そうなんです。昔、私は富士山の頂上まで登って、

清々しい気持ちで山を下るとき、軽快に私の横を走って降りる人を見て、

私も走れるかも!ってマネしたら
案の定、足が追いつかなくなり、よくあるマンガのように前に回転してコロコロ転がり、

アチコチを擦りむくケガをしました。
(あの転び方で擦りむくだけの怪我は奇跡に近い)
本当にその時の私は今日、人生の最後かもしれないと思ったほどです。
その時の主人の一言は
『まるで自衛隊』
でした。
顔に土がついて真っ黒なところが彼のイメージする自衛隊だそうです。
そのあと、優しい言葉をかけてくれたかは記憶にないですが寄り添って

一緒に山を降りてくれたのは覚えています。
言葉はなくただ寄り添って、一緒に降りてくれただけで私は頑張って降ることができました。

・・・と、富士山の話はここまでにしておきます。

そして今回、自転車転倒時にできた左足大きなアザ、

その辺りがしばらく痛くて痛くてその日は横になって安静にしていました。
その時思ったことです。
体に何か当たったり、傷ついたりしたときって皆さん痛みを感じませんか?
私は体に衝撃が加わると痛みがわかります。
一方、
心はどうだろうか?と考えました。
多くの人が心に痛みを感じながらも自らに見えない麻酔を無意識に打ち、平常を保とうとする。
もしくは、それに反発するように空威張りしたりする。
痛いはずなのに。
見えない麻酔や空威張りなどは心が心を守ろうとする自然な現象です。
私は今まで心が痛くても痛くないように振る舞ったり、

時には痛みを誰かのせいにしたりしていました。
今回の自転車転倒に照らしあわせると、転んだのは自転車のせいでもなく、

地面や傘のせいでもない、私の責任なんですね。
私は痛みを感じたからには、自らの責任でその傷を手当てしてゆきます。
グジュグジュのまま傷をほったらかしにするのか、
ちゃんと痛みを感じて適切な処置をするのか、
自分次第なのです。
私はその日痛いよぉ痛いよぉと言いながら、足の傷の手当てをし、

早く回復するように冷やして、お休みの日だったので何もせずに安静にしていました。
今までなら痛みを我慢して自分のやるべきことをするためにセカセカ動いていたと思います。
私は心の痛みも同じように捉えています。
完璧には治らない心の傷がうずき出したら、また痛みだしたら、自分の責任で処置をするようにしています。
処置の方法としては多いに痛みを感じたり、
間違って身につけた思い込みを発見して考え方を変えてみたり、
この世にうまれてきて今があることは誰のおかげだろうかと振り返ってみたり、
その他にも色んな方法があります。
それらを指し示す心理学。
そしてそれを信じることができる心を授かったことに感謝します。
皆さんは痛みを感じた時、どうしていますか?
一人で抱えきれない時、安心できる場を見つけ、まずは傷をいたわりましょう。
きっと力は発揮される。
そう信じています。

私はその後転ばないようにも気をつけて生活しています。

自転車のハンドルに傘をかけるのだけはやめておきます。。。