2010.01.16 投稿者:JTC

22-心で感じるとは ~その1~

こんにちは、佐藤です。


突然ですが最近、生後4か月になる犬を飼いました。

姉が飼っていた犬を譲り受けました。

「犬がさみしい思いをしているから犬好きのあんたにもらってほしい」と言われたのです。


私の価値観として犬は家族です。

家族がさみしい思いをしているなら引き取りたいところでしたが、とても悩みました。


一緒にいてあげられる時間は私も少ないかもしれないけれど、一緒の時間はかたときも離れず過ごし愛情を注ぐことは目に見えていました。


それが。。。問題なのです。


私は過去に17年飼っていた愛犬がいて、たくさんの愛と癒しをもらった分、

その犬の存在により人生が2転3転し、翻弄するほど私の心を占めました。


その犬との出会いは、高速道路でした。

生まれてまだ目が見えてない状態で捨てられ、段ボールに兄弟7匹が入れられ、倒れた段ボールからにおいを嗅ぎながら車道へと転がりこみかけていました。


しばらく車をとめて、捨てた人がやっぱり心配で帰ってくるかもと考え待っていましたが、

夜が明けてしまい私は当時動物好きではなかったのですが7匹を連れて帰りました。


犬の好きな知人たちにひきとってもらったのですが、兄弟の中で一匹女の子だったその犬だけが

飼い手が決まらず、いつの間にか私もその犬に会えるのが楽しみで帰宅するようになりました。


このワンコ私の心がよめるのかな?と思う程、非言語を察知し気持ちに寄り添ってくれてると感じさせる犬で、幼い頃から悲しみや苦しみを誰にも伝えることができなかった私が

その犬とならいろんなことを話すことができ、辛いとき涙を流しては、その犬にぬぐってもらっていました。


って。。。この話がしたかったのではなかったのにどんどん過去のワンコとの物語になってきました~。

いいです。今日はこの犬の話にします。

でもあまりにも長くなるので翻弄された話はカットし、終盤へ向かいます。


数年前、ちょうどインターン生になり、各種講座に通っていた頃です。

犬が歳のせいもあり、歩けなくなりました。

同時に排泄が自分でできなくなり、人が尿を一日に数回絞り出さなければ尿毒症で死んでしまうということで、お医者さんに安楽死を勧められました。


「絶対にそんなことしません!」と言いのけ、「最後まで面倒みるからね。一日でも長く生きてね」と

犬に伝え、それから仕事をおさえ、人に会うときも4時間おきに帰宅し、排泄させることとなりました。


やや大きめの中型犬でとても賢かったのですが、足が動けなくなったせいで筋肉がどんどんおとろえてゆき、座ることも噛むこともできなくなり、認知症になってゆきました。


何かをするときは抱きかかえて過ごしていて、

当時私は仕事から帰宅すると心理学の勉強をしていたのですが、

腕の中で眠る犬を起こすまいと微動だもせず、おかげでお勉強をやめたいのにやめられず、深夜まで続け、はかどったものです。


夜は夜泣きをするので背中をさすり、数時間おきに寝返りをうたせ、食べ物はミキサーにかけ少しずつ飲みこませてという日々が1年近く続きました。


私は介護疲れで坐骨神経痛になり、見ている辛さからメニエルにもなり、疲れ果てたある日初めて限界を感じ、「このままで私はどうなってしまうんだろう、もう疲れたな。。。」そう考えぼーっと犬を見つめていました。


毎日必ず「明日も元気でめざめてね」そう言っていた私のいつもと違う空気をよんだのでしょう。

その夜、犬は命をひきとりました。


その時、初めて気づいたことは、絶対死なないでねという私の思いを背負い、

苦しい状態で生き続けてくれてたんだということでした。


まわりの人たちは「幸せなワンちゃんだね」と言っていたけれど

いつも私がお世話をしてもらい、最後の最後まで、納得するまで気持ちを汲んでくれた

強くて賢くて美しくて優しい犬でした。


心が繋がり合うというよりは、読みとり続けてくれたその犬から学んだことは大きかったです。


長くなりすぎたので、この続きはまた次回にします。

こんな犬中心の生活をした強迫的な思考を、また犬を飼うにあたり、どう克服したかをお伝えします。


犬が対象とはいえ、ぜひ皆さんに何かが届いていたらと願います。


おやすみなさい