2008.10.10 投稿者:JTC

9-やりたいことをする人生

新幹線に乗りローカル列車に乗り継ぎ、山奥にある温泉に行って参りました。

ローカル線に乗り換えてから、昭和初期に立てられた建物が並ぶ町並みが続き、だんだん山の中に入ってゆくにつれ町が小さくなり、岩と岩の間を抜け地上何百メートルものところにある陸橋を渡ったら見渡す限り山となりました。

山の斜面を電車が直進できないため、進行方向を何度もかえてジグザグ走行して山を上がるのです。

そのたびに車掌さんは前と後ろの運転席を行ったりきたりされていて、初めは山脈の美しさに魅了されていたのですが車掌さんが移動することがとてもめずらしく、そっちに釘付けとなっていた私でした。

ご一緒したのは以前の会社の同僚で東京在住の10年以上のつきあいになるお友達。

去年は韓国へ、その前は海へと、何か目的をもってきゃーきゃー行って旅をしていた私たちでしたが今回は山奥。することといえば語り合うこととなり、「人とのかかわり」をテーマに互いの精神論が展開し、決して押し付けることはないのだけれど考えを述べ合い、激論となりました。

「親密な関係は愛と信頼のうえに成り立ち、信頼があるがゆえに率直な意見交換が交わされる」とはこのことですね。

私は「自分の人生を好きなこと、楽しいことをして生きる」という考えがあり、一見自己中心的に見えるかもしれませんがその考えが結局社会貢献につながると考えます。極端な話し、お金を払ってでもやりたい仕事をしたいたちです。

彼女は「迷惑がかかわらないように向いていることを人はしたほうがいい」という考え方です。

さあ、皆さんはどう思われますか?

自分の夢を叶える、人の夢を応援する、そこには当人の気持ち以外になにか限界があるのでしょうか?

けっしてきれいごとではできないことです。

私は今まで数々の仕事をしてきましたが何かをする前に「これは私に向いている」とか考えたことはありません。

「やりたいか」「やりたくないか」それだけです。

私が学院の生徒だった頃、インターン審査を受けようと何回も教育分析を受けていました。前に立って授業のシュミレーションをするにも恥ずかしく、もじもじして、なかなかうまくできない。カウンセリングの練習をしても相手の話をなんにも思い出せない。それでも講師は一言も私に「あきらめろ」とは言わなかった。今、採用できないだけです。

それでもやるかやらないかは本人次第。

お金のため、安定のために自分自身を犠牲にすることは私にはやりたくないことで

逆にそれができる人をすごいな~と思います。

何が正しい、正しくないということはありませんね。自分自身がどうか、ということです。

皆さんはいかかがですか?