2015.10.16 投稿者:JTC-出口 さゆり

92-自然がお手本

先日、久しぶりの休みで、
リフレッシュしたくて、畑作業をしました。

作業内容はにんじんの間引きです。

すくすく成長しているにんじんを
あえて抜くことを間引きといいます。

なぜ間引きをするのかというと。

拳一個分の感覚を開けて発育させることで、抜かずに置いておくにんじんに土の養分を集中させることができ、抜いた分だけ育つスペースも広くなるので程よい大きさに育つからです。

ひたすら、感覚を見ながら間引き、雑草を抜く作業を続けます。

間引かれたにんじんは、土にかえります。

ゴミではありません。

その間引きにんじんを土の微生物が分解してくれて、土の養分に変わります。
そして、間引かずに残してあるにんじんの養分になっていくのです。

そのサイクルの一つを、自分の手で担う中で、ふと気づいたことがあります。

これは、人間社会の手本ではないか?と。

このにんじん達の様に、人々が共存し、毎日ただただ生きて、自分のできることをし、己や仲間を信じて上を向いて成長をしていく。

一畝(うね)を一組織と考えたら、畝の目標は美味しくて立派なにんじんを実らせ、食べてもらえる人を笑顔や健康にすること。

人間社会の組織で考えたら、組織の大義を実現していくこと。

と捉えることができます。

にんじんたちや土の微生物たちは、その目標に向かい、必要な時には間引かれることも惜しまず、
間引かれたあとも不平不満を言わず、
むしろ喜んで残された仲間の為に土にかえっていく。
私にはそう見えました。

間引かないとにんじんは十分に育ちません。

人間社会の組織の中でも、
表舞台ではなく影で支えてくれる人材は必ずいると思うのです。

間引かれていくにんじんの存在があるからこそ、残されたにんじんは最後の収穫の時期を迎え、立派な美味しい実りをつけ、人々を笑顔にする。

私が思うに、重要なのは、

いかに素晴らしい結果を出すか?ではなく、

自分以外の他者の力のおかげで結果として残された収穫されるにんじんの存在は、その他多くの見えない力により生み出されたものだと気づき、関わる全ての存在に感謝出来る姿勢ではないでしょうか。

それがあって初めて、実りに対して本当の意味での喜びを感じられると思うんです。

最後に収穫されるにんじんであっても、間引かれるにんじんであっても、土でも雑草でも一畝から生み出される結果になにかしらの力になっている。
存在自体をすでに肯定されている。

どれもこれも、価値の差をつけられない。
価値は変わらないんだ!

と、自然に教えてもらいました。^_^

今日も良い日になりそうです。(^o^)♥︎
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