2017.01.20 投稿者:JTC-礒田修幸
02-ドラマ「嫌われる勇気」第2回より(アドラー心理学)
こんばんは。 講師/心理カウンセラーの礒田です(^^)
アドラー心理学を題材とした書籍「嫌われる勇気」。
今晩は第2回目!アドラー心理学を体現している女刑事・庵藤蘭子の過去も少し顔を出した、そんな回でした。
(※ネタバレになる部分もありますので、ご注意下さい)
今回もアドラー心理学のテーマが出てきました。
「感情とは目的の為に出し入れできる道具である」
「人は変わるのが怖くて、変わらない選択をする」
原因論よりも目的論といわれるアドラー心理学。
『自分の意見を通す目的のために感情を出す』
『世間に出て評価されるのが怖くて、嫌なのでその目的の為、不安で心を病み、引きこもりになる』
と ドラマではかなり痛烈に切り込んでいました。 厳しい…と捉えられがちな意味がよく分かりますね((+_+))
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これは交流分析療法(=TA)でいう「人生脚本」に似ていると思います。
幼い頃に自分が受けた経験から「自分の人生はきっと○○だ。このように生きよう。」と無意識に決断し
その後意識しないまま、まるでドラマの脚本を演じるかのように、良くも悪くも変わらず、その脚本通りに生きてしまう…。
「自分は人よりも容量が悪い」と決断すると、能力があっても何かで一番になることも少なく パッとすることが無い人生で終える可能性が高いと言います。
逆に「自分の人生は色々あっても結局幸せになる。愛情をたくさん貰える存在だ!」と決断し どんな苦境でも希望を捨てず、どこか余裕を持って人生を生きている方もいらっしゃるでしょう。
幼い頃に持った自分へのイメージ(自己概念)は、ある意味楔のようにその人の人生に付きまとうと言います。
僕も先日、教育分析を受ける中で自分の人生脚本に改めて気づきました。
「修幸、感謝しいや。お寺でこうやって仏さんに守られ、人に囲まれ、恵まれてるんやで。周りの人に感謝して生きるんやで。」 親からの大切な教え、教訓は僕の心に強く残り、人生を生きる上で大事な心の姿勢として根付いたものの、いつしか
「恵まれている分、人の役に立たないといけない。同じように苦労をしないといけない。」
「自分で何かを達成して得た境遇ではない分、同じように達成する努力や辛さを味あわないといけない」
という「苦労をしないといけない」という楔に変わってしまっていました。
子どもは、子どもの様々なフィルターで大人の言葉を捉えるものですね(>_<)
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苦労も感謝も人生で大切なものだと思います。 でも、どちらも決して「しなければならない」ものではありませんよね。
意識してするものではなく、誰かに助けられた時、心の温かさに触れた時、感謝は自然と内側から湧くものだし 苦労もその時が来ることもあるでしょう。
乗り越え、一回り自然と強くなるものですが できればしたくないもの。苦労の無い人生はそれはそれで「ラッキー」で、自ら当たりにいくものではないですよね!(^^)/
意識的にお礼を言ったり、引き受けなくていい苦労ばかりを引き受けるのを見ていても、気持ちよくないのと同じです(+_+)
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今回のドラマでは「変わらず、不満を言うくらいなら、嫌われようが、変わる勇気をもってみたら?」 というメッセージで締めくくられていたように思います。
でも、「変わること」ってよく「理想の自分になること」なのでしょうか?
そもそも「変わらないといけないもの」なのでしょうか?
ドラマのように「言えない自分」から「嫌われても言える自分になる」ことが正しいのでしょうか?
それだと、僕は理想通り「苦労し、苦労し、苦労した挙句に人の役に立つ」人に変わろうと人生を生き 途中で苦労しすぎて早死にしてしまうかもしれません(笑)
『変わること』 それは 『変わらない自分を受け入れ、認めること』です。(*^^*)
諦めや、卑下ではありません。それは受容し、自らの肯定的な部分を見出す優しい行為です。
少し長くなりました。
このテーマについては次回でお話したいと思います。
このドラマにより心理学に脚光が当たることが嬉しい反面、極端に心理学が勘違いされないか… そんな想いもありながらこのコラムで想うところを綴っていけたらと思います。
夜遅くの乱文、お読みくださりありがとうございました。
講師/心理カウンセラー 礒田修幸
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