2017.02.23 投稿者:JTC-礒田修幸

07-ドラマ「嫌われる勇気」第7回より(アドラー心理学)

こんばんは。 講師/心理カウンセラーの礒田です(^^)

 

アドラー心理学を題材とした書籍「嫌われる勇気」

 

今回は第7回目。もう物語も終盤に差し迫ってきています。

ドラマのクールは3ヶ月、最終章ですね。

 

今回も話の内容よりもそのテーマに焦点を当てて綴っていきます。

(※以下、ネタバレになる部分もありますので、ご注意下さい)

 

さて今回のテーマです。

「共同体感覚」

 

犯人は長年勤めあげた「警察官」という職に対し

退職後、「大事にされなかった、見返りや感謝も期待と違った…」と

怒りや恨みを抱き、安藤刑事に対する嫉妬から犯行に及びました。

 

彼にとって「警察官」という職業は

自分の人生の全てをささげる想いで勤め上げた職場、彼の大切な「居場所」だったのでしょう。

 

これだけ貢献したのに…

これだけ尽くしたのに…

 

そんな彼の「認めてもらいたい」という強い思いが

事件を引き起こしました。

 

教授は言いました。

「本当の貢献は見返りを求めない」

 

普段、仕事をしたり家事をしたりしている時、また

それ以外にも誰かの役に立っている時に

私たちはどんな欲求で取り組んでいるでしょうか?

 

***

 

有名なマズローの欲求階層論では人には5つの欲求があると言っています。

そしてその欲求は1つずつ低次のものから満たされていかないと

なかなか高次の欲求を持つのは難しいとされています。

 

①生理的欲求

食べたい、寝たいなどの人が持つ基本的な欲求です。

命を保つためにまず人はこの欲求を満たそうとします。

 

②安全と安心の欲求

風雨を防げる家で過ごしたい、最低限生活が送れるほどの給料が欲しいなど

心身の安全を求める欲求です。この①②は他国に比べ経済的にも豊かな日本では

ほとんどの方が満たしていくのは容易だと言えます。

 

③社会的欲求

集団に属したい、仲間が欲しいという欲求です。

仕事やグループ活動を始めるのもこの欲求からが多いです。

ここまでが低次の欲求です。

 

④承認欲求

集団に属すことができたら、その集団から認めてほしい、尊敬して欲しいという欲求が湧いてきます。

ここからはものではなく、心が満たされて初めてその欲求が満たされた気持ちになります。

高次の欲求はここからです。

 

⑤自己実現欲求

自分の能力を最大限発揮し、社会の為、人の為に、そして自分自身の為に生きたいという欲求です。

この段階の欲求を持つにはある程度低次の欲求が満たされる必要性があります。

 

さらに晩年、この上にマズローは個人を超えた⑥「自己超越欲求」というものがあると言いました。

個人を越え、見返りや自分の為という訳ではなく、使命感や単に目的達成の為に取り組むことが出来る欲求のことです。

 

ドラマの犯人はきっと③社会的欲求、そして④承認欲求で仕事に取り組んでいたのでしょう。

 

教授のいう「見返りを求めないのが本当の貢献」というのは

つまり、⑤自己実現欲求や⑥自己超越欲求で仕事をすることだと

言うことが出来ると思います。

 

***

 

僕の祖父は先日、米寿を迎えました。

普段あまり自分の話をしない祖父は、そのお祝いの席で珍しく自分の若い時の話をしてくれました。

 

ちょうどお寺に来て50年、38歳の時に今のお寺に住職としてその任についたんだそうです。

ボロボロでふすまには穴が開き、お墓には草木が生い茂って、それはそれはとても住めたようなお寺ではなかったそうです。

そんな中、家族5人を養うため、最初は明日のご飯の心配もしながら

「摂取不捨。努力をすれば必ず仏様は救って下さる。」

その一心で必死にただがむしゃらにお寺の仕事に従事したそうです。

その頃の祖父は①生理的欲求や②安心安全の欲求を満たすことに必死だったそうです。

 

しかし、そんな祖父の努力が重なり、人の縁に支えられ、お寺は少しずつ

沢山の人に来てもらえるようにもなり

先週家族親戚みんなに見守られたお祝いの席では

人生を統合したように

本当に幸せそうに笑っていました(*^^*)

 

祖父は誰に指示するわけでもされるわけでもなく

今でも毎日もくもくとお墓の草ぬきをしています。

春になれば毎日、咲いては散る花の花びらを毎日拾うことから仕事をスタートさせます。

見返りを求めないその姿からきっと、祖父の自己実現、自己超越のようなものを感じます。

 

***

 

こういう話をすると常に自己実現欲求で動かねば!と思うかもしれません。

 

でも、まずは①~③の、そして④の欲求が満たされないと

なかなか自己実現欲求には目が向かないのも事実。

 

僕自身も大学を卒業し、実家の仕事に従事する中で安心安全の欲求は満たされても

「会社の中で働いてみたい、その中で成果を追ってみたい」という欲求がむくむく出てきました。

 

今考えると、視野は狭く、その時の状況でも既に満たされているものに

気づけていなかったように思います。

 

私たちは生涯どのくらいの人と関わり合い、助け合い

お互いに支え合えるでしょうか?

 

約73億人いる現在の世界の人々とどれだけ心を通わせることが出来るでしょうか?

 

 

属したいという社会的欲求も、認められたいという承認欲求も

仕事をしていないから、仕事の結果が出ないから満たされない…

友達がいないから、会いたいと声をかけてくれる人がいないから満たされない…

ではなく

 

自分は

大きな日本という国、地球という世界の共同体の中の一人なんだ

もっと言うと小さい町や家族、周りのコミュニティの一員なんだ

そして、命があるだけで無条件に認められていい存在なんだ

人よりもまずは自分が自分を認めないと満たされないんだ

と知っていくことで、気づいていくことで、社会的欲求、承認欲求にこだわることなく

その上の自己実現欲求、自己超越欲求に意識が向くのではないかと思います。

 

僕自身は家族という団体に属し、さらにお寺というコミュニティに属し

近所の方との関わり、会社に属さなくても今既に属している団体に目が向いていませんでした。

大学の頃、ボランティアサークルを兼部し、フィリピンの貧困問題に取り組みたいといった時の父の言葉が忘れられません。

 

「世界に出る前にもっと身の回りのコミュニティを大事にしないと、大きなコミュニティを幸せには出来ない」

 

そして、人に認められたいと思うばかりで、自分が自分に愛情を与えず、まだまだまだまだ…と外に意識が向いていました。

 

その時期は自己実現していく準備段階だったように思います。

 

***

 

今も常に自己実現欲求で動けているかというと

やはり、社会的欲求や承認欲求、もっというと安心安全欲求に目がいくことも多々あります。

 

でも、軸は変わりません。

これからも人が、自分がこの人生を生きやすく、充実したものとして生きていけるように

宗教、学問関係なく、紆余曲折しながらも「癒し」に携わり続けたいと思っています。

これが自分自身に近い感覚がしています(*^^*)

 

講師を始めて4年目、アイデンティティーが固まっていくのを感じています。

日々、大きな世界の中で、身近な人に支え合いながら毎日の生活を送らせてもらっている

今に感謝し、共同体感覚の中で一歩一歩前進していきたいと思います。

 

このブログを読んで下さっている方に感謝です。

 

乱文を最後まで、お読みくださりありがとうございました。

 

講師/心理カウンセラー 礒田修幸

n.isoda@jtc-web.jp