2017.03.02 投稿者:JTC-礒田修幸
08-ドラマ「嫌われる勇気」第8回より(アドラー心理学)
講師/心理カウンセラーの礒田です(^^)
アドラー心理学を題材とした書籍「嫌われる勇気」。
今回は第8回目。
少し怪しい影が見え始め、ラストも近づいてきました。
続けてお読みくださっている方、ありがとうございます(*^^*)
今回も話の内容よりもそのテーマに焦点を当てて綴っていきます。
(※以下、ネタバレになる部分もありますので、ご注意下さい)
さて今回のテーマです。
「安直な優越性の追求」
「普通であることの勇気」
犯人は自らのありのままの自分を認めることが出来ず
“特別にならないといけない”との思いから
健全な努力ではなく「殺人」という手段で自己顕示欲を満たそうとしました。
これは不良・非行の問題も似たものがあるのではないでしょうか。
今回は関連している「ストローク」という概念を紹介させていただきます。
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「ストローク」というのは、交流分析療法の用語で
=あなたがそこにいることを私は知っていますよ、という存在認知の刺激の一単位のことです。
・挨拶をする、名前を呼ぶ、あいづちをうつ
・肩を叩く、頭をなでる、手をつなぐ
・ほほえみかける、目線を送る、うなずく
…等
私たちは普段様々なストロークを相手に送り、お互いにお互いの存在認知を行っています。
中には貰ってうれしい肯定的(プラス)のストローク以外にも、嫌な気分になる否定的(マイナス)のストロークがあります。
・罵声を浴びせる、嫌味を言う、侮辱する
・なぐる、ける、つねる
・にらむ、無視する、眉間にしわを寄せる
…等
見ていてわかるように
肯定的なストロークに比べ、否定的なストロークは誰かからも貰いたくないはずです。
では、何故、不良や非行問題がなくならないのでしょうか?
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「ストローク」は心の栄養とも言われます。
私たちが空気や水が無ければ命を保っていけないように
こころも栄養を求めています。
朝起きて、リビングに出ると普段いるはずの家族がいない。
不安に思って街に出るといつも通りを通っているはずの人が一人もおらず
静まり返っている…。
そんな状況に不安を覚えないでしょうか?
昔、トム・ハンクス主演の映画「キャストアウェイ」では
主人公のノーランドが無人島を生き抜くためにバレーボールに
名前を付け、架空の友達として精神を保っていたシーンもありました。
人が精神状態を保つためには「ストローク」、つまり
自分の存在を認めてくれる誰かの存在や、そのかかわりが不可欠なのです。
そして
それが否定的なものだとしても、です。
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昔、僕が学童保育の指導員をしていた頃、いわゆる「問題児」と扱われる子がいました。
ケンカは耐えず、悪さをしては運動場中を駆け回り、口も悪く、先生方も手を焼いている子でした。
ある程度かかわりが深くなってきたとき、母子家庭だということ、いつもお母さんの仕事の帰りも遅く、疲れたお母さんはすぐ寝てしまうこと、とても寂しい思いをしていることを知りました。
その子は「ストローク」を十分に貰うことが出来ず、心が満たされていなかったのだと思います。
どんな悪さも、口応えも、全て「私に構って、私をちゃんと見て」という心の叫びだったのでしょう。
テストで良い点を取って褒められる子や、お手伝いをして褒められる子はたくさんいます。
褒めるかかわりは時間にしても短く、逆にしつけの為に叱る事の方が時間がかかります。
努力して勉強や周りの人の欲求に応えるよりも、ケンカや悪口、悪さをすることは時間をかけず、簡単に関わってもらいやすい手法なのでしょう。
つまり、不良や非行問題がなくならないのは
ストロークに飢えた結果「寂しい」想いを抱えるからなのです。
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子どもが子ども時代から自分で自分を、「普通の」=ありのままの自分を認めることが出来たら
その先の人生、どんなに生きやすいことでしょう。また、それは子どもだけでなく大人も同じです。
私たちは過剰にストロークを他人から求めなくても、何が出来るなどの評価ではなく、自分でありのままの自分を認め「大切だよ、信じているよ」と肯定的なストロークを自らに与えていくことが出来ます。
そして同じストロークが必要でも、やはり否定的なストロークをためると心が疲れます。
肯定的なストロークを得るのは努力ではなく、ありのままの自分でいること、そして日常に肯定的なストロークは溢れていると気づきしっかりと受け取っていけると心が満たされます。
誰かの愛情・好意には
「すみません!申し訳ないです。。」と遠慮するのではなく
「ありがとうございます。嬉しい。」
肯定的なストローク交換を行っていきましょう(*^^*)
乱文を最後まで、お読みくださりありがとうございました。
講師/心理カウンセラー 礒田修幸
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