2008.09.03 投稿者:JTC
4-かまわれたい人、かまわれたくない人へ
今朝目覚めて、「なんか寝た気しないわ。。。」と思っていたところ
ニュースや講師からのメールを見ると「深夜豪雨でしたね~」という内容に「そうなの?」と思うと同時に
自分がすごい爆眠していたことに気づき、なんか快調になった佐藤であります。単純~♪
気持ちのもちようで人って変わるものですよね~。
人の心理として”人はかまわれると目をかけられるたととり安心する”そうですが
皆さんはどうでしょうか?
ありのままの本来の私は、とても自由人でかまわれることをいいことだとは思えず、
求めていないのにかかわられてしまうと、気持ちは嬉しいけれどちょっと窮屈になります。
心が壊れそうなときも、あまり人とのかかわりを求めません。
必要なときは率直に伝えます。
「実はかまわれなくなったら一人前になったということだから、かまわれるよりかまわれないことのほうがいい」 By○○先生
ん~私にあてはめるのは難しい。かまってもらってるかかまってもらってないか考えていなかった。。。
窮屈ではないということはかまわれてないってことかな?でも昔から皆かかわり変わってなくない?
いや増えたか?などと10秒くらいくるくる考えましたが
それより昨日お授業で自動的に浮かぶ考えにはなにか根底に枠組みがあるという理論をお伝えしたので
私が本来自由人とはいえ「どっちかというとかまわれないほうがいい」という考えが浮かぶのは何か幼少期に根付いた考え方が根底にあるのかもと考えてみました。
そこで気づけたのは母がいつも姉に叱っていたのをみていたので私は「かまわれたらぶたれる」と考えていたことを思い出しました。
「手がかかる子ほどかわいくない」そんな思い込みもありました。
私の「かまわれないほうがいい」は自由人からだけでもなく自律からきたものでもなかった~(ガクッ)。
かまわれたくない人も、かまわれたい人も何に突き動かされているのか考えてみられてはいかがでしょうか?