2009.11.25 投稿者:JTC-小川菊乃
11-母の法事を終えて
みなさん こんにちは。 少しご無沙汰いたしました。小川です。
随分寒くなって参りましたが、それでも今日はぽかぽか陽気です。
以前私は2歳頃、生みの母を病気で亡くしているとお話したことがあるかと思います。
先日、その母の三十三回忌の法要がありました。様々な事情があり、母が亡くなって
33年たってようやく、このように法要を行うこととなりました。
私といたしましては、幼い頃のことで、母の記憶もありませんし、当日どんな思いを抱くか
全く想像できませんでした。
しかし、いざ法要がはじまると、あふれる思いを止めることができませんでした。
『当然、この世で会うことは叶わないんだ…』ということを、はっきりと
目の当たりにしたことによる、悲しさ、さびしさ、せつなさ。
『この母が私をこの世に誕生させてくれたんだ。この母から私は続いているんだ』という
自分のルーツ、根っこみたいなものを改めて感じたことによる、力強い自己存在感。
そして、随分今までまわり道してきたけど、それも含めてこれからの新たなスタート
みたいなものも感じました。
何か自分の中で、ひとつ『けじめ』がついたように感じます。
私には同じ母の子供として、妹がいます。
この妹から先日、メールが届きました。
その内容は、私が小学生のころから、つい5、6年前まで抱えていた複雑な思いと
重なるように感じました。
妹は今まで、この母への思いを心の奥にしまい込み、
真正面から向き合ってこなかったように思います。
それには、妹なりの、そうするしかなかったわけがあったのだろうと思ってます。
妹は妹で、私とは意味あいの異なる、スタートがはじまったのかもしれません。
もしかすると、それはしばらくはつらい道かもしれません。
私は、何もしてあげられません。
出来ることはひとつだけ。
どんな時も、妹のゴールを信じて寄り添っていくことだけかな。。。と
ゴールするころは、もうおばあちゃんかもしれませんが…(笑)
ひとつの同じ母の法事でも、家族、親戚ひとりひとりにおいて、
いろんな意味があるのかな。。と感じてます。