2011.04.28 投稿者:JTC-出口 さゆり

23-家族。

こんばんは、出口です。
突然ですが、二週間ほど前からうちに家族が増えました。
残念ながらこどもではありません。
ペットでもありません。
皆さん何だと想像しましたか?
その家族とは、今の季節、低空飛行で天気を知らせてくれる、つばめさん家族です!
私が12月に今のアパートに越してきた時から気になっていたつばめさんの巣。
駐輪場と駐車場の天井と壁のかどっこに上手に巣が作ってあるんです。
『つばめさん、この春にも来るかしら?』
そんな期待を抱きながら毎日が過ぎていきました。
そして二週間前につばめさん一家が突然やってきたのです。
今、卵を大切に温めている最中。
私が出掛ける朝、つばめさんはもう既に外出していることが殆どです。
帰ってくる夜には大切そうに卵を温めながら丸まる姿に、私は誰よりも先にただいまを言っています。
つばめの生態を調べましたら、なんとオーストラリアから春になるまでに暖かい日本へ移動しているそうな。
すごいです。
実は、私はつばめさんを見ると幼い私に戻ります。
なぜかと言うのは小学校三年生のときまで遡ります。
私は当時、毎日毎日日が暮れるまで大親友たちと外で遊んでいました。
あの春、初めて私はその友人たちとつばめさんをまじまじと観察し、ピヨピヨ鳴くヒナたちを『かわいい~』とゆう気持ちで下から見守る体験をしました。
それ以外にも思い出したことがあります。

道端で息絶えたトンキチ(トンボです)をみんなで土を掘り、お墓にして『トンキチのおはか』と札をつけ、毎日みんなで手を合わせて帰っていました。
同時に思い出したのは昔住んでいた家のそばにあった父の倉庫。
トンキチのお墓はその倉庫の前にあり、父は自営業で作業をしている中でも私たちの姿を邪魔もの扱いすることなく、そっとそこに居てくれたことを思い出し、忘れかけていた父の優しさや強さを再び感じました。
仕事が大好きでいつも一生懸命な姿がかっこよく、たくましい父。
はにかむ笑顔が脳裏に焼き付いています。
こうして文章を打っている間にも込み上げる想いで涙がでています。
私は、今回改めて自分は一人で生きてきたわけではないことを認識しました。
なぜなら思い出せば出すほどいろんな人が登場するからです。
必ず誰かにお世話になりながら、支えあいながら、今まで生かされ、今も生きています。
昔、愛されなかった記憶の裏には、愛されていた事実も隠れている可能性があります。
その逆もしかりです。
両親に感謝しかない、愛されていた。そう思う裏にはもしかしたらまだ気づいていない傷ついた自分がいる可能性も十分あります。
その両者の痛みが、痛みのままだと大人になった時、ジュクジュクとうずき出します。
一般でいうストレスという形で。
そしてその後の人生の方向性や人間関係に大いに影響を与えます。

周りを巻き込む形で。
私は心理学にであってから、その傷と向かい合い、

自分で傷の手当てができるようにたくさんの経験をしてきました。
傷と向かい合うのは、両親を否定・非難することではないのです。
むしろ傷を自分で手当てできるようになると、

今ある感謝が何百倍にもなって感じられるようになります。
私はそれを体感するまでは『本当にそうなれるの?』と半信半疑でした。
けど、本当なんです。
健康な心の在り方を指し示した心理学者さんたちに感謝すると同時に、

それに出会うきっかけを作り出してくれた両親の関わり・存在に感謝しています。
つばめさん一家を見て、幼い記憶に戻り、大切なことを思い出すことができて嬉しく、幸せです。
つばめさんありがとう。
そんな朝を迎え、今朝出勤するまえに実家に寄りました。
母は早朝にも関わらずいつもと変わらず迎えてくれました。
一緒に住んでいた時は何かとぶつかり合い、お互い心を痛めていましたが、今朝は変わらない母でも、父の愚痴を言う母でも、なんだか私は母を愛おしく思え、そっと話を聴くことができました。
今までずっと、同じような悩みを持ちながらも私たちを育ててくれたんだな。
って思うとこの命をずっとずっと大切にしながら、成長しながら、できることをやり、生きていきたいと強く想いました。
自然や動物が私に幸せを運んでくれました。
いつどんな時に気づきのきっかけが転がっているかわからない、それが面白いんですよね。
さぁ次はどんな素敵な気づきがあるかしら?
とりあえず、つばめさんの育児を見守ることにします。