2014.05.25 投稿者:JTC-礒田修幸

02-ちぐはぐ赤白帽

こんにちは。
礒田修幸です(^^)
この土日はいろんな形の「愛」にふれてきました。
なかなかに普段は思考で動くタイプなので
あれこれして、こうしてこうしないといけないから、、、
今はこれして、あ、でもこれもしないと、、
え、時間が無い、、
と「現実原則」にあっぷあっぷすることが多いのですが
今週末は思い切って「快楽原則」とのバランスを取ろうと
今まで自分と縁をもってくださった方々に会ってきたんです(^o^)/
バランス。ええ、バランス。
昨日は朝から前職学童保育の指導員をしていたことから
たくさん愛情をかけてきた子どもたちの姿を見に小学校の運動会に!!
それはもう
「かわいい」
無条件にこみ上げてきました。
真剣に帽子を取り合う騎馬戦も
少し恥ずかしがりながら楽しそうに踊る1,2年生のダンスも
必死になって走るかけっこも
どれをとってもそこに「意味のない」ものはなく
ありのままの全てが光輝いて見えました。
あの騎馬戦の
ドコドコドコドコドコドコ、、、、
ドン!
という太鼓の音なんてもう!!!!
感情をぐわんぐわんされ
最近味わうことの少なかった穢れない純粋な緊張感や、勝負の世界の必死さなど
多くの感情を子どもの心に戻り感じることが出来ました。
そんな中で聞こえてきたお父さんお母さんの声。
「頑張ったなぁ」「大変やったねぇ」「すごいかっこよかったよ」
そんな言葉に混ざって
「女の子に走り負けてるなんて話にならん」「もっと気合い入れろ!」「いつもはもっとできたのにね」
そんな声もちらほら聞こえてきました。
動揺する自分の心と、湧き上がる怒り。
ふと学童保育の指導員をしている時を思い出しました。
自分の子どもに容赦なく罵倒の言葉や愛の無い関わりをするお父さんお母さんを見て
何とも言いようのない気持ちになっていたこと。
心理学を学び、どれだけお父さんお母さんにもそれだけの関わりをする背景があることを学んでも、実際にその場面に出くわすといいようもない怒りが出てくることもあります。
でも昨日はいつもと少し違いました。
はたから見れば
どんなに愛のない言葉をかけていたとしても
どんなに愛の無い行為をしていたとしても
それは自分がその一部分を切り取って見ているのではないのか!と!
「女の子に走り負けてるなんて話にならん」
そういっていたお父さんも
頭にタオルをまき、汗をかきながらも必死にビデオを回しておられました。
朝早くからシートをいちばん前に陣取っておられました。
かけっこが終わったらすぐに話しかけにいかれてました。
言葉ではそう伝えるしかできないだけで
ほかの部分ではたくさんの愛する行為を、心を子どもに向けていらっしゃって
それが上手く伝わっていないだけかもしれない。
そう思うとどこも曲げずにそのままの言葉を、愛を
「伝えること」は難しい、だけどもすごく大切なんだなと思えました。
子どもなんかまっすぐ伝えたとしても色々な思い込みで
捉え違いするのに、そう考えると本当に難しいですけどね(>_<) と、い、う、こ、と、は 自分ももしかして、、、!? そう思いながらまだまだ素直に親に向かってそのままの想いを伝えられない そのままの想いを受け止められない自分、、(*_*) 気づけたことは良いこと。 気づけたら次のステップ! ゆっくりゆっくりと自分も自分とこの気づきをもって 向き合っていきますかなーと思っています。 本当はその後の学生時代の先輩の結婚式二次会でみた愛の話とか 自分が失敗したときに自分が自分に向けられない愛を 他の先生がまずモデルとなってくださったこととか いろいろ浮かんだ愛の気づきを書きたかったんですけど どんどん長くまとまりがなくなるので 本日はこの辺でお暇します。 自分にも相手にもまっすぐなそのままの想いが 伝わっていく社会を目指して 明日からもまずは身近な方々に 「率直に受け取り、率直に伝える」こと実践していきます(^^)/ ◆◇ 礒田修幸