2016.06.08 投稿者:JTC-出口 さゆり
108-見え方はひとつ?
こんにちは。
日本心理カウンセラー養成学院 講師・心理カウンセラーの出口さゆりです。
前回のブログで、
「月一度でも良いから両親に会いに行く」
ただそれだけで両親は喜んでくれるのではないか。
という気づきがあったことを書きました。
昨日、家に帰ってから、主人と話をする機会がもてたので、
前回のブログで書いた私の思いを話しました。
話しているうちに、
父親の言った一言を思い出し、思わず大号泣をしてしまいました。
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「お子さんはいらっしゃるのですか?」
と、実家に来られたお客様に私が尋ねられました。
「いえ、まだです。」
と私が答え、横にいた父が続けて、
「この子はねぇ…かわいそうに、2回残念なことになってねぇ」
とても悲しそうに、悲しそうな声色で、私の心を映し出すかのように、痛みを感じながら(の様子で)ポツリと言う父親を見て、
なんとも言えない感覚が身体を走りました。
その時は言葉にできませんでした。
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昨日、その時の話を主人にしようとすると、
心の奥から、言葉にできない思いがどんどん溢れてきて、涙でしか表せなかったのです。
ありがたい、、?
嬉しい、、?
温かい?いや、
悲しい…
最近、どんどん老いていく父親の姿を見て私は父の最期を考えずにはいられませんでした。
きっと父は自分老いに恐怖を感じながらも、
子どもが心痛めた体験を一緒に感じてくれていたんだろう。
それは今回に限ったことではなく。
様々な節目で、父は私の気づかぬところで、子どもたちのことを思い、相手の立場になり想いを巡らせていたのではないかと、初めて思えたのです。
普段は亭主関白な、ガンコ親父。
という言葉がピッタリな父の違う側面に出会い、嬉しくもありました。
きっと、今までもその優しい側面を表してくれていたんだろうけれど、私が見られていなかったのだろうと思います。
もっと、父や母のことを知りたいと思うようになりました。
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そして主人との話では、
月一度は、お互いの実家に2人で帰ろうね。
ということを約束できました。
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自分の見えている世界は自分が決めているようです。
嫌なことがたくさん起こるのは、
嫌なことを見ようとしているし。
嬉しいことがたくさん起こるのは、
嬉しいことを見ようとしてるのでしょう。
普段見えていない、
相手の一面を見ようとする視点をこれからも持ちたいな、と思います。