2009.06.27 投稿者:JTC

19-自己愛

今日は私の感動体験をもとに、自己愛について語ります♪

自分の優しさについて語るお聞き苦しい点もありますが、

全体性をもって捉えていただけると幸いです。

小さい頃、両親が伝えたなにげない言葉。

それが自分の中で間違ったとらえ方となり、無意識の中に残って、そうだと決めつけてしまうことがあります。

それを心理学用語で <間違った思い込み> といいます。(インナーチャイルド講座より)

父はいいところを伸ばそうとして伝えてくれていたのだと今ならわかるけれど

当時歪んだ捉え方をしてしまった言葉がありました。

「お姉ちゃんは優しい子、綾子はがんばりやさん」

その言葉から、がんばらなければ愛されないと思ったのと同時に「私は優しくないんだ」と捉えてしまいました。

「優しさ」

皆さんは何をもって「優しい」としますか?

私は心理学を学び、自分の中にある優しさをやっと認めることができ、

自分でそれを認めていくことで過去の<間違った思い込み>が溶け、満たされ

他者に「私の優しさを理解してほしい」という思いもなくなりました。

私と違う他者の優しさを認められなかったけれど、

その瞬間から相手の大切にしている優しさを認められるようになりました。

そんな私ですが、今現在もあまり人から「優しい」と言われることはありません(笑)

過去に私は結婚生活にピリオドをうちました。

結婚した直後からの彼の冷たさに、なんのために彼は私と結婚したかったのだろう。。。

そんなことをずっと考えて悩みました。

今思い出しても、なんだったんだろう。。と思うことも正直あるのですが

一方で、感謝の気持ちが押し寄せて湧きおこります。

それは

☆金銭的に何不自由ない暮らしを与えてくれたこと

☆17年間、私のガラスの心を支えてきてくれた愛犬シェリーの、臨床8か月間、

  快くマンションで飼うことを受け入れてくれただけでなく、シェリーにとても深い愛情を注いでくれたこと

☆姪っ子をしばらくあずかることになった時もひとつ返事で歓迎してくれたこと

永遠にラブラブを求む私としては毎日が辛かったけれど、

離婚をずっと躊躇したのは彼のそんな思いやりのある言動でした。

先日の深夜、ふとそんな彼から1本の電話がなりました。

「今日はシェリーの命日やね」と。。。

次に「綾は動物にも植物にも人にも、とにかく生命に対して優しい子だったなと思いだしててん」と。。。

「ありがとう。。。ありがとう。。」  号泣しました。

なかなか伝わりにくい私の中にある「優しさ」をこんな形で認めてくれるんだ。

でもなぜこんなに涙がでるのかな。。。自分で自分を認めることで十分心は満たされていたはずなのに。。

私は考えました。

そして気づいたことは、やはり人には承認欲求があるということを。

求めはしないけれど、それをもらえた時、こんなにも心は喜ぶんだと。

それが素直な気づきでした。

心理学では「他者から認められたいと願うより、まずは自分で自分を愛していきましょう」とうたいます。

まずはそこからです。

自己愛がなければ、他者からの承認や愛が毎日のように必要になります。

自己愛を深めたうえで、もらえた承認だからこそ、内から深い感動を得ることができるのだと思うのです。

皆さんは、どうですか?

人に認められたいと願う前に自分が自分を認めてあげていますか?

どんな自分も愛してあげていますか?

内から光をはなっていますか?